論文要旨

交錯する主体
─横向きNの前向きコミュニケーション─

岩野 直子

自分に意思があるのに、それを伝えることができず、意識があることにすら気づいてもらえない。身体がそのような状態に陥ることを「閉じ込め症候群」と呼ぶ。そのような閉じ込め症候群にあるひとたちが、ほとんど動かない自分の身体の一部、まぶたのわずかな動きなどを使って、他者とコミュニケーションをとるという事例が、さまざまなメディア―ドキュメンタリー映画や著作などを通じて一般にも報告され近年注目を集めている(ボービー 1998、デリアン 2008)。彼らの体験を目にするとき、閉じ込め症候群という、ある特殊な状況下に身体を置くひとの特別な他者とのコミュニケーションのやりかたに私たちはまず注目してしまう。
しかし、障害により制限された身体を使ったコミュニケーションだからこそ、私たちひとが、自分の意思を伝えようとするとき、または受け取ろうとするときに、どのように自分の目の前の他者をとらえ、それを成り立たせているか、鮮明に表わすことができる。
本論文に登場するNは、身体に障害を抱え、少しずつその筋力を失ってゆく。本論文では、徐々に外部との通信手段を失う、Nのコミュニケーションに対する思索を出発点として、著者がNとその周辺に参与し得られた事例から、ひとにとってコミュニケーションとは何か、それはどのようにして可能かを論じる。
特に、相互主体的な行為として、コミュニケーションの生まれる時とはどのような時か、またどのような状態をコミュニケーション不全と呼ぶのか明らかにする。結論として、意思の発信者としての主体の存在が、他者とのコミュニケーションの獲得にあたり重要な位置を占めるという事を示す。これは、社会生活を営むひとという生き物全体に言える。ひとが社会的に行なっている他者との相互行為が、その主体を持つ本人にとって、いかに自分の生に意味を持たせているかを提示する。

 

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