論文要旨

地方巡礼の現在
身近な非日常空間の創造とその喪失

野嵜綾

業論文の題目に地方巡礼を選んだきっかけは、小倉の町のあちこちにある御堂の存在に気づいたことと、白装束を着た巡礼者の団体を目にしたことであった。現在の日本では日常生活における宗教行為が希薄になっている。しかし一方では、仏像を奉った御堂や巡礼のような宗教活動を行っている人々が確かに存在する。むしろ宗教の悪い面ばかりが浮き上がってしまう現代社会の中で、これらの身近な宗教はどのように存続しているのだろうか。私は現在の宗教活動の実体を確認しようと、1999年の4月1日から4月9日にかけて、福岡県北九州市に設置されている「二市一群新四国霊場」の巡礼「千人詣」に参加し、調査を行った。
この調査結果を本論文では、小嶋博巳氏による「地方礼状は日常を非日常化する仕掛けを持っている」という見解をもとに分析を行った(1987 小嶋)。二市一群新四国霊場のような地方霊場と、それを巡る地方巡礼には日常空間を非日常化する仕掛けがある。これによって創造された非日常空間は「信仰」と「娯楽」の両方の要素を持つ非日常性を生み出すことができるのである。
この視点において、二市一群新四国霊場の持つ非日常化の仕掛けを探したところ、「歩き」「接待」「巡礼期の限定」「服装」「記録」など、数多くの例を見ることができた。ところがその一方で「車の使用」「宿泊の習慣の喪失」「接待の衰退」などにより、非日常化の仕掛けが崩壊しつつあることもわかった。
なぜ、非日常化の仕掛けが崩壊してしまうのか。その理由は、地方巡礼が栄えた頃の人々と比較して、現代の人々の「非日常」を求める姿勢が変わってきていることにあると考察する。そして同じく非日常的経験を得ようとする行為でありながら、地方巡礼の「自らの手で日常空間に非日常空間を創り出す」という方法と、現在の人々の「日常の外部に用意された非日常空間を享受する」という方法にある大きな違いを、本論文で明らかにしたい。

 

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