論文要旨

現実はいかにして可能か
インドネシア、レンボガン島の事例より

重森 誠仁

 インドネシアには呪術や薬草を用いて病気を治す呪術師がいる。彼らはインドネシア語でドゥクンと呼ばれている。インドネシア27州のうちの1つであるバリにもドゥクンがいる。バリ島の南東に位置するレンボガン島には、プヌグラハン・スチ・シワ・ブダッ(penugrahan suci siwa budha)という組織を設立し、村の若者たちに呪術を教え、サクティという超自然的な力を用いて病人を治療しているワヤン・タンカスというドゥクンがいる。
 サクティとは「人の体に電池のように蓄積できる呪的エネルギー」である。人によってその質や量が異なり、呪術と瞑想の技法を体系的に学ぶことではじめて制御可能なものになるとされる。
 日本において、呪術という言葉はある種のいかがわしさを連想させるが、レンボガン島民にとって呪術は日常的なものであり、実際に喧嘩や病気治療の際に使うことができる実用的なものである。
 本論文では、レンボガン島のドゥクンであるワヤン・タンカスの組織に焦点をあて、そこで行われている超自然的な力サクティを巡る営みをもとに、呪術についての分析を試みる。
 呪術はともすれば単なる虚構と見なされがちである。しかし、本論文において「現実は虚構から作られること」、さらに踏み込んで言えば「現実は虚構そのものであること」が明らかになる。現実(リアリティ)をつむぐ(作る)際に重要となるのは臨場感(体感)であり、呪術師は身体を伴った卓越した演出によりそれらを醸し出している。そして、呪術師とは現実(虚構)を自ら作りだし、かつ作り出された現実(虚構)に自ら進んで呪縛されることができる人間を指すのである。

 

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