論文要旨

小倉祇園における八坂神社の位置づけ
町の祭りの中に埋もれた神社の祭り

山中さやか

 小倉祇園祭りは八坂神社の例大祭の一つである。しかし、現在の祭りはイベント化し、神事ではなく太鼓が主になり、神社と町の人々の間に距離ができ、祭りにおける八坂神社の地位は低下している。
 これまでの小倉祇園祭りに関する先行研究ではおもに祭りをになう人々が中心であったが、本研究では八坂神社側から分析を試みる。
本論ではまず、八坂神社と町衆の間に距離ができ、神社の地位が低下した3つの原因について明らかにした。
 1つめは「八坂神社の場所」である。八坂神社は当初、城下の鋳物師町に創建された。しかし、環境悪化の理由で昭和9年城内に移っている。城内は周りに民家が少ない。2つめは「小倉祇園の歴史的背景」である。小倉祇園祭りは城主細川忠興が城下町繁栄策の一つとしてはじめたものである。八坂神社も忠興によって創建された。祭りも神社も「お上」によってつくられたものであった。3つめは映画「無法松の一生」による影響である。この映画によって祭りは太鼓中心のものへと変わってきた。
 つづいて、同じ小倉でおこなわれる「わっしょい百万夏祭り」と比較し、小倉祇園祭りは神社なしで成り立つか、ということについて考察した。小倉祇園祭りは、神社、つまり「聖なるもの」によって人々は日常から完全に切り離される。しかし「聖なるもの」をもたない「わっしょい」は、人々をひきつける力が弱く現在様々な問題に直面している。
 祭りにおける八坂神社の地位は確かに低下したが、祭りに聖性を付加する文化装置として人々に求められるかぎり、神社の役割はなくならないと考えられるのである。

 

HOME MAIL TOP